【懐古厨/自分語り乙】自分がサンタの立場になってみて考える年末年始の享楽と刹那を極めた父の生き様
注)表題の通りです
私には甥や姪などはいませんが、有難いことに学生時代からの友達がこどもたちと頻繁に会える機会を作ってくれているため年相応のデレデレ期を謳歌しております。この世の嫌なことが一瞬で全て吹き飛ぶほどの微笑ましい場面に出くわすこともありますが、同時に「親(特に母親目線)って大変だな」と痛感することもあり、そこから両親の苦労を想ってみたりもします。
私は基本的に父親のことは嫌いでした。過去形なのは私が13歳の時に亡くなったからで、仮に今現在も生きていたとしても多分あまり変わらないと思います。典型的な昭和の親父で、仕事から帰ればお酒、気に入らないことがあれば怒鳴る、最悪の場合には母親に手を挙げるという令和の時代には考えられない父親だったため、特に私がひとりっ子の3人家族ということもあり母親しか頼る人間がいなかったため、もはやいつの間にか完全に父親vs母娘の構図はできあがっていたと思います。それでも私が小学校高学年のころには病気の影響で覇気もなくなってきたため早い段階でそのバトル構成も意味がないものになってきました。
そろそろサンタ業務が控えているのでアマゾンと楽天とヨドバシとトイザらスと郵便局と百均と各所をシャトルランしまくってさすがに疲労気味。当日に絶不調だけは避けたいので体調管理との塩梅が難しい‼️ pic.twitter.com/Pb6OXO3pHM
— ほちょこ (@e_hocho) December 9, 2025
さて、私がしばしばそんな父親を思い出すきっかけになるのが季節行事です。比較的日本の伝統行事+海外の行事も全て取り入れるお祭り野郎が大黒柱だった故に、何かにつけて我々母娘は連れ回されました。特にこの年末年始の時期は、さすがにハロウィンは定着していませんでしたが、新宿花園神社の酉の市は恒例。熊手だけでなく通常の縁日も出ていたので射的で女の子の人形(今考えるとものすごく安っぽいリカちゃんのパチモンみたいな怪しげな流通品)を当ててもらい当時はなぜか非常に満足しました。多分まだ幼稚園くらいか否かです。夜だったのであのオレンジ色に輝く境内の風景は今になっても忘れません。おそらく現代はLEDの時代なので当時の蛍光灯の発色と印象が違うかもしれません。まるで目に橙色のセロハンでも張り付いているかのような不思議な光景でした。
私が覚えている範囲でのはじめてのクリスマスプレゼントの思い出はキティちゃんの街セットみたいなおもちゃです。あとでネットで調べたら平成レトロとして有名な商品だったのか画像も説明もたくさんでてきました。『街角物語』というシリーズだったそうで私が買ってもらったのは「おじいちゃんのコンビニエンスストアー」です。Google検索すると意外と画像がたくさん出てくるので興味のあるひとは見てみてください。近所のコンビニ(ヤマザキデイリーストア)にずっとぶら下がっていたのを行く度に触って眺めていたので、それにされたのだと思います。昔懐かしい包装紙にくるまれて枕元に置いてありました。クリスマスの時に洋楽のレコード(当時はガチでまだレコード)をかけて雰囲気を出したりしていることもありましたが、ケンタッキーのクリスマスバーレルは一度も買ってもらえませんでした。多分洋食よりは和食派だったのでしょう。
トッモのムスッコのクリスマスプレゼントはメガリザードンXとメガリザードンYのモンコレにしようと思ったらメガリザードンYはMS販売してなくてネット注文間違えてサイズ感ばらばらになっちゃった…買い直そうかと思ったけど2体並ぶと意外と威圧感あるからこのままでいったろ🤫💭 pic.twitter.com/hM2flxjKO8
— ほちょこ (@e_hocho) December 17, 2025
最後のプレゼントの思い出はNINTENDO64です。小学生の頃に私がずっと「これからは64の時代だ」と吹き込んでいたのでクリスマス当日に仕事帰りに家電量販店で買ってきてくれました。ソフトは振動パック対応のスーパーマリオ64という神センスで、私は古本屋で攻略本も調達してきて頑張ってプレイしていました。
しかしながら直接「ありがとう」と言った記憶がありません。いつも迷惑を被っていたのでその慰謝料くらいに思っていたのかもしれません。母も「ありがとうくらい言いなさい」みたいな教育もなく、今でも「どうせ自分の興味のある物しか買ってこなかった」と言うのでまぁそういうもんだろうと思っています。実際私も友達のこどもたちに何かあげる時には自分が欲しいものをあげている、つまりはおとなのエゴだと思うので。
年始には始発で築地市場に連行されていろいろと買って帰ってきました。もちろん母と私は睡魔でくたくたで、特に私は本当に機嫌が悪かったと思います。両親ともに下町生まれだったり下町気質の育ちなので築地で新年のものを買いに行くこと自体に抵抗というか違和感はなかったようですが、まだ眠い盛りの年齢としては始発から年始の日も出ぬ寒空に引っ張り出されるのは何とも迷惑な話でもありました。今考えると築地ではなく豊洲に移転しているので、眠さのあまり覚えていませんがいくらや数の子やたまごなどの贅沢品を年始から家族で調達に行ったというおぼろげな思い出は貴重なものであると感じております。
親の心子知らずとはよく言ったものだと最近感じるようにはなりましたが、一方で親がいなくても子は育つという言葉もあり、親と子は死に別れても完全にはわかりあえないです。もちろん違う人間なので。でも生きている間はできるだけいろいろ話したりぶつかったり学んだり教えたりするのが多分親子なんだろうなぁと今は思っております。
また、先日母と話をしていて少々おもしろいと感じたのが「学生の頃はこんな腐った社会はなくなればいいみたいなエヴァンゲリオンみたいな厨二的破壊願望が生まれる時があるけれど、ある程度の年になるとどうせいつか(近いうちに)は死ぬからせめてこの腐った社会をより善くするように楽しく生きるしかないのかもしれない」という語りに同意してもらえました。どうせ死ぬんだからわざわざ壊すことも自分から脱落することもないという謎感覚を共有できたのは親子でありながらとうとう死生観が同じ土俵に上がってきたのかなと感慨深いものがあります。
以下自分語りマシマシ注意)
今年は某大手企業と契約して築50年以上の部分リフォームを行いました。決して安くはありませんが、高齢の母のことも考えるとやるべきだと私は思いました。しかしその企業は建設業法を巧妙にくぐり抜け(客観的な消費者目線としては法律の悪用)必然的に杜撰な現場管理が生じたことにより施主を含めた現場の人間は翻弄され疲弊しました。私たちは弁護士の無料相談を受け、消費者も現場の作業員である労働者も含め更なる被害が拡大することがないよう次の一手を考えております。
もちろん詳細には書けませんが私個人の意見としては法律と市民に対する挑戦とも言うべきものです。なぜなら専門家ですら欺くことができる(専門家でもその可能性を指摘できなかった)合法的手法を取っていたことの裏付けが取れてしまったからです。違法性はありませんが倫理的には不誠実極まりないです。
ここまでくると抽象的過ぎてなんだか陰謀論ちっくではありますが、ネットでの詳細なリークはイコールで必ずしも良い結果を生むとは考えないためそれは申し訳ありません。情報の取り扱いには慎重になるべきではありますが、私自身も感情のある人間なのでギリギリの部分で留まりつつもこうしてネットの海に放流しています。
そしてこれは建築業界という最も真摯で誠実でなくてはならない仕事を冒涜した看過できないものだからです。私たちは被害者として徹底的に企業を追及することで社会をより良くしていく責任すらあります。
これは設計士だった父の血がそうさせたものかもしれません。父はディズニーランドなど特殊な建造物が多いところに行くと必ず外壁など(もちろん「触らないでください」の箇所は触りません)を手のひらでぽんぽんと叩いて確認していました。横浜のランドマークタワーやお台場が完成した頃にはいち早く家族を道連れにして建物や都市設計を見て回ったものです。
父は尊敬はあまりできなかったので娘の私の立場としては本当に気持ちの悪いものですが血というのは水よりも濃く争えないものです。そして父が亡くなってからも建築業界が腐敗することないよう市民の立場で監視を続けていくという謎の使命感は、私から地獄への父に向けたささやかなプレゼントのようなものなのかもしれません。
参考引用:
花園神社(http://hanazono-jinja.or.jp/)2025.12.26
任天堂 NINTENDO64 ハードウェア紹介(https://www.nintendo.co.jp/n01/n64/hardware/index.html)2025.12.26
任天堂 NINTENDO64 スーパーマリオ64(https://www.nintendo.co.jp/n01/n64/software/nus_p_nsmj/index.html)2025.12.26
任天堂 NINTENDO64 振動パック(https://www.nintendo.co.jp/n01/n64/option/sindop.html)2025.12.26
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