わんぱくなおこさまに心がちくちくするひとを対象に実態を解説してみる―夏休みなので
最近ありがたいことに友達のおこさま(3歳以下の幼児)と遊ばせてもらえる機会が多く、精神年齢が物心付いた頃から変化がない"三つ子の魂百まで"を地で行く私にとっては「こどもの面倒を見る」というていで低年齢層をターゲットにした遊びに便乗できるのは非常に楽しいです。
週末は友達と友達のムスッメ(ぴちぴちの3歳)とめっちゃ遊びました😍🙌魔法のステッキで母親が殴られたので「父親の前でだけ使う」よう注意されたのと、車内でクソデカボイスで「すわりたい」と言ってモーセの如く乗客を立たせてしまったのはツボりました。こどもは正直でヨシ!#東京スカイツリー pic.twitter.com/oaaW7wVPfP
— ほちょこ (@e_hocho) June 23, 2024
ディズニーやサンリオなどはおとなになっても楽しめるコンテンツですが、修行が足りないためプリキュアなど低年齢層をターゲットにしたコンテンツに足を踏み入れる勇気がなく「こういう時に一緒に遊べるこどもがいたら楽しいだろうな」とやや歪んだ動機を感じざるを得ませんが、いずれにせよまだおしゃべりの練習中くらいのちいさいこどもは感性や着眼点が非常に興味深く勉強になることがたくさんあります。私たちもその年齢を通過してきたはずなのにどうしてその頃の感受性を失くしてしまったのか残念でなりません。
約5,000円するコンパクトがご所望とのこと
文言を残すのも憚られるのでここでは例を引用したりはしませんが、某呟き界隈などではよくこどもに関することでバトルが起きています。双方の言い分も一理ありますし結局はコミュニケーションの問題だと思っています。つまりは立場が変われば正義も変わるというヤツです。今回はこどもを連れて外出するということの苦労と喜びを知ってしまった基本的にはコミュ症で陰の者な私が語りましょう。
上述の説明ですと単なるヤバい変態みたいで誤解があると私としては心外なのですが断じて違います。母親(友達)にも遊んでやってくれと人気が高いです。本当です信じて。
注!!)こどものやることだから全部許してという意味ではなく、こういった場面に遭遇してもあんまりイラッとせずちょっと落ち着いてくらいの感じです
ゆっくり歩くな問題
まだよちよち歩きのこどもを連れていると、こどものペースに合わせてゆっくり歩かざるを得ません。とっとと抱えて連れて行け!というのもありますが、こども自身が「歩きたい」ターンに入っている時に強制的に連れていこうとするとギャン泣きしたりします。もちろん通路を塞いだり明らかに狭い場所であれば広々としたところまで連行しますが、正直保護者の片腕をしている立場としては歩きたいなら歩かせてやりたいのが本音。とはいえ通行の妨げになっては本末転倒なので状況に応じて臨機応変に対応します。
改札ピッで立ち止まるな問題
興味があることはなんでも自分でやってみたい好奇心旺盛な年頃。自身が小さい頃には駅員さんが謎のはさみでちょっきんしてくれるタイプの有人改札から自動改札機になるまでの間に「それやりたい」と親に散々言ってきたはず??です(私の母親曰く混んでる時にはやらなかったとのこと)。現代では切符を買うという手順がなくなったので「ピ」という手順で電車に乗るにも(小学生以上は)お金が発生していることを叩き込むという現代流教育法という理由もあるようです。
食べ散らかすな問題
食後の原状回復には努めていますが、こどもの食べ方が壊滅的なのはこれも当たり前。なんなら私はおとなですが食べ方がスマートかどうかなんてわかりません。特に今の暑い季節はアイスクリームが大好きです。あっちこっちに興味が向きやすい年齢だとずっと付き添っている方も大変なので、伝家の宝刀としての「アイスクリーム休憩」なのではないかと学びました。人気の31アイスでも人数分買えばなかなかお金もかかりますが、これでこどもが落ち着いてくれるなら安心です。
ちなみに先日おとなの私はひとりでアイスを食べていたら白いシャツにチョコレートをこぼしてシミにしました。知らない間にペットボトルからジュースがこぼれていたらしくやっぱり白いシャツがオレンジ色になりました。もはやこの災害的な酷暑を生き残るためにはそれで良いのです。
トイレ混むんだぞ問題
おむつを外したばかりのこどもは自分でトイレのタイミングを図れない。急におちっこうんちっちと言うので親でもわからない(私自身もそれで母親を困らせた)。こどもにおしっこもしくはうんちをさせてから親のターンに入るので時間がかかるのは当たり前。こどもによっては自分で勝手に個室から出てしまったり手を洗わずに飛び出してしまったりも普通。集団行動のなかで自力のトイレ習慣が身に付くまでは親も心労が絶えないようです。
ベビーカーで入ってくんな問題
ずっとおんぶだっこは体力的に本当に無理です。そのためベビーカー外に置いてこいはきびちい。それなら狭い店内に無理くり入ってくるなよというのはある種の正論ですが、それだとおこさまと一緒に選んで買い物ができない。店外では今の時期は致命傷レベルで暑かったり、そもそも最低でも2人体制でないと手分けしての入店はできません。邪魔だよなぁすいませんとは内心思っているので(思っているなら行動に移せは上述の理由により現段階では却下)むしろ通路やエレベーターなどを広くしてほしいというのが自分が面倒みている側の時の本音です。逆に私もベビーカーの車輪に轢かれたりアタックされた経験はあるので、立場が変わると意見が真逆になるパターンの典型例を学びました。
泣かせるな問題
正直面倒みている方でもこどもがいつ泣き出すのかはさっぱりわかりません。泣き始めてもなぜ泣いているのかもわからない時は多々あります。基本的にはお腹が空いた、おむつが気持ち悪い、眠いから寝させてくれなどの生理的欲求※や安全の欲求※からくるものですが、人見知りが始まったりイヤイヤ期に入ると何もかもが気に入らない(=気に入らないことをうまく表現できない)ことにより全ての終末が訪れたかのように泣き崩れます。これは成長の証でもあるので喜ばしくもあり、公共の場では弱り果ててしまうものではありますが、闇雲に「親なんだから即刻黙らせろ」は魔法使いではないので酷だなと思っています。
※マズローの欲求5段階説より
急に走り回るな問題
これはごめんなさい。というより私自身も急に飛び出したり遊びに夢中で周りが見えなくなっているこどもにはヒヤッとさせられるので、こういったことはお約束させたいですがガチで急にいなくなるんですね、驚きました。親として保護者として常に見張っておけもそうなのですが、奴らはカンマ1秒の隙を突いて俊足で雑踏に行方を眩ますのです。生まれながらのアサシンです。
以下は社会問題的な事案と私の幼少期~成長期の経験則も併せて真面目に。
こどもを理由に欠勤遅刻多い問題
これに関しては親御さんとの人間関係も影響してくると思いますが、自分の友達だったら「こどもが熱を出した」「お腹が痛いと言っている」「急に吐き戻した」などあったら当たり前にキャンセルさせます。ほーれ自分寛大でしょアピールとかではなく、自分もよく急な体調不良やなんかヤだなどの理由でぐずって母親を困らせたり父親を怒らせたり(←これに関しては理不尽)していたので、親を責めても結局のところいちばんつらいのはこどもたちだと思うのです。親が周囲に責め立てられることでイライラしてくるとそれは確実にこどもにも伝播します。自分のせいでお母さんお父さんの機嫌が悪くなっている…と感じさせてしまうとやがて体調が悪くても隠すようになります。それが過去の私です。
生物として危険信号と取る問題
赤ちゃんの泣き声やこどもの金切り声は生物の本能として「不愉快=助けなければ」という周波数になっているという説はたまに見聞きします。
私は子育て中のハムスターを飼育していた経験がありますが、育児疲れなのか母ハムスターがトイレで気絶しかけていたところ赤ちゃんハムスターがチーチーと泣き出すと重い腰をあげてのそりのそりと巣に戻っていくお尻をよく見ていました。げっ歯類と一緒にすんなと不快に思われたら申し訳ないですが、我々は同じ哺乳類でもあります。私は母ハムが子ハムに翻弄される姿を見て「もはや本能」であることを実感しました。
屁理屈かもしれませんが、自分自身が手を出せない赤の他人のこどもの泣き声や叫び声が「不快」なのは当たり前だとも思うのです。つまり本心は「うるさいから親はとっとと泣き止ませろ」ではなく「その泣き声は音声周波数的に救助要請かもしれないから親しか頼れないこどもの対応に速やかに回ってくれ」なのかもしれません。物は言いようです。
ふと思い出しましたが私は小学生の頃に奇声を発したり怒鳴ったりするわんぱく系の男子児童がものすごく苦手で、実は今でもその時のトラウマであまり快く思えなかったりします。結局は複合的な要因が折り重なっているのかもしれません。
結局はしあわせそうなのが腹立つ問題
怒られるかもしれませんが正直これはでかいと私は思っています。楽しそうにしているこどもたちの姿は言うなれば平和の象徴であり素晴らしい現実であるはずです。しかしながら昨今の国内ではとかく問題になっている。仕事で疲れて忙しい時、プライベートでどん底レベルにまで突き落とされて生きる気力すら奪われている時、その他もろもろの時に生命力の塊かつ新しく輝かしい未来の権化みたいなこどもたちとその親御さんに出くわしたらその温度差に疲弊するひとのなかには「騒がしい」というような言動に変わってしまう説もあると感じています。
私自身、精神的な事由で自宅で寝込むしかない状態が続いた頃は夕方になって外でキャッキャしている小学生くらいのこどもたちの声が聞こえてくると「小学生ですら毎日朝から夕方まで勉強したり遊んだり友達と交流しているというのに私は…」とガチで罪悪感を抱いてしまい耳を塞ぎたくなる時もありました。
私が幼少期の頃は親戚に「おとなしい」「挨拶しない」「積極性がない」とよく陰口を叩かれたものです。何を考えているのかわからない不気味さのようなものもあったのでしょうが、あの言われようはびっくりするくらいよく覚えています。というより根に持っています。まだ言葉や意味がわからないだろうと侮っていると知らず知らずのうちにひとりの人間の心に深い傷を背負わせることになるのは私も肝に銘じて発言や態度には気を付けています。
こどもは保護者だけでなくこどもを取り巻く全てで育てられる環境であるべきと私は思っています。私自身が家庭でつらいことがある時(夫婦喧嘩や親族間の不和など)に頼れるのが両親以外にもいないと潰れてしまいます。今振り返ると学校の友達の存在は非常に助かりました。両親が離婚していてひとり親家庭というこどもが増えていた時代だったこともあって「家にひとりでいてもつまんないから」と言われて友達の家でよく遊んでいました。学校の先生でも信頼できる先生は的確な進路相談にも乗ってくれましたし、全然知らないひとでも良い意味でお節介を焼いてくれるおばちゃんに遭遇して涙がでるほどに嬉しい時もありました。
おとな同士でいがみ合わないで、主役はこどもたちであることを念頭に置いて社会全体で許し合える、助け合える、尊重し合えるような時代が早急に訪れることを願いつつ、私も自身の言動や行動が周囲のこどもたちの手本として恥ずかしくないような老け方に努めたいと常日頃から試行錯誤する日々です。
追記)
これを書いている間に小学生のおこさまと仮面ライダーのイベントに行けるかもしれないという嬉しい事案が発生。いわゆる着ぐるみ的ヒーローショーは昔から好きではありましたが両親があまり率先して連れて行ってくれず、どちらかというとディズニーランドのパレードやショーの方が連れ回されたのですっかりそちらで英才教育されました。
ほぼ毎回変身ベルトを買わされている模様
ひとつよく覚えているのは父親にセーラームーンのショーに連れて行ってもらい、うさぎちゃんのサイン色紙を1,000円で買ってもらったこと。基本的に暴力的支配かつノンデリ傾向の最悪の父親でしたが、その時はお金を払っているのはこどもの目にもバレバレではあるものの何故か私をセーラームーンの前に引きずり出して挨拶させていました。今考えると「"セーラー服美少女戦士"っていいなぁ」と普通に言っていたので自分がセーラームーンの着ぐるみをしたひとの近くに行きたかっただけなのかもしれませんが、今は亡き父親との数少ない思い出のひとつでもあります。
当時はあまり気にしなかったけど
親って裏で苦労してたんですね
参考引用:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 自己実現理論 (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96)2024.7.30
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