#朗読劇 #映画

朗読劇『湯布院奇行』を観てまいりました―新国立劇場を狂気に沈めた100分間

2021年10月29日 

お詫び)途中敬称略しています

アーカイブ配信も終了してしまったので内容に踏み込んだ私の感想等をこちらに記録しておきたいと思います。配信版でまた何度か繰り返し観ようかと直前までものすごく悩んだのですが、舞台での記憶に上書きされるのが恐かったという変な理由で我慢しました。近影は公式に公開されている写真などでも確認できるので、それで思い返したり想像したりするのもまた楽しいかなと思います。本当はかなり未練あり。

原作の燃え殻さんの手によって書籍化されるようなので楽しみに待ちたいと思っております。

あらすじ

「今、君の⽬の前に立っている女を私たちで共有しないか?」
店先で⼥から渡された手紙に、そう書かれていた。都会での生活に疲れた作家の「私」は、 知り合いの芸術家の勧めで湯布院へ向かう。そこで瓜二つの2人の女性に翻弄され、 徐々に現実と虚構の境がわからなくなっていき・・・
彼の行き着く先は楽園か、 それとも・・・!?

― 公式サイトより

会場は東京新国立劇場。オペラやバレエなどの公演が多い劇場です。京王新線「初台」駅直結。京王線に乗ってしまうと初台と幡ヶ谷をスっ飛ばして笹塚に行ってしまうので注意です。小田急小田原線「参宮橋」駅からも徒歩10分程度で行けますが、住宅街や首都高沿いをくねくね歩いて行くので土地勘に不安のある方は京王新線をオススメします。

ちなみに賛助会員の会費(寄附金)は

・個人賛助会員 年額10万円より
・個人維持会員 年額30万円より
・個人特別維持会員 年額100万円より

とのこと。賛助会員には特典等がありますが、今回の朗読劇に関してはTBS主催なので特に関係ありません。

きっかけは映画の共演で気になっていたところから

主演は「女」に翻弄され生と死の境で狂気に堕ちていく成田凌さん(僕役)。黒木華さん演じる謎の美女(忍/片桐/お母さん役)は複数の奇怪な女性を演じながらも舞台全体の精神的支柱、コムアイさん(歌唱担当兼元カノ役)は蝶のように自由に舞い観客も翻弄するトリックスター的な立ち回り、とばらばらのようで三位一体の配役だったように感じております。

客層はまさに老若男女。日程や内容もあってか小さいおこさまを連れたファミリー層は多分いませんでしたが、学生から会社員から数多の劇場を渡り歩いていそうなご婦人ととにかく幅広い。劇場に入る前は初舞台ということもあって成田凌さんファンの女史が多いのかなと思っていましたが、共演の黒木華さんやコムアイさん、劇中で使用されている曲(坂本慎太郎さん)をよく知っている方が多いような気がして期待値爆上げでした。

成田凌さんの鬼気迫る怪演にガチ発作を起こす私

以前(2016年)にNHKのBSプレミアムで放送されていた池松壮亮さん主演の『シリーズ横溝正史短編集』も観ていたのですが、それの第2話の演出をされていたのが今回の脚本を担当した佐藤佐吉さんだったのを当公演の発表後に知りまして更に興味が増しました。

公式は消えているので参考にしたのはテレビジョン

ちなみにそのドラマには別の演出家の方が担当された短編にコムアイちゃんが、佐藤さん演出の回には映画『くれなずめ』(2021年)の監督である松居大悟さんも出演者として登場していました。池松壮亮さんといえばまさかの庵野監督作品『シン・仮面ライダー』(2023年3月公開予定)で本郷猛役つまりは仮面ライダーになることが発表されたばかりですが、また金田一耕助として登場する予定だそうでこちらもとても楽しみです。

朗読劇の概念を覆した総合芸術

私が鑑賞した回は配信日と同日でした。この朗読劇を観に行った後に、渚カヲルや最近では鬼滅の刃の猗窩座役でも知られる声優の石田彰さんが朗読する江戸川乱歩の『人間椅子』を聴きました。石田彰さんといえば2016年にはTVアニメ『昭和元禄落語心中』で落語家・八代目 有楽亭八雲(菊比古)役で「死神」などの落語を披露していましたが、やはり艶っぽい品のある色気がある作品がとてもよく似合います。

声張れなくてつれぇだろ?だったら張らねぇ話をやりゃあいい。郭話※1とか圓生※2話とか、いわゆる色っぺえ話だな。

― アニメ『昭和元禄落語心中』(第三話)より

※1)遊郭のうわさ話。遊郭の評判。また、特に、遊里に取材した落語。(精選版 日本国語大辞典より)
※2)三遊亭圓生?? 落語『死神』は初代三遊亭圓朝の創作であるとされる。師匠は二代目三遊亭圓生。

江戸川乱歩の『人間椅子』に関しては終わり方にどちらともとれる謎が残ってやや気持ち悪いのですが、今回の『湯布院奇行』のラストと独特な気味の悪さのようなものが重なりました。

話が逸れましたが朗読劇というと私個人が勝手に抱いているイメージとしては本を持った読み手が舞台に均等に座っていて、ゆっくりと物語を読むような静かな空間(刺激を求めている時にはある種退屈な空間)といった演出しか思い浮かびませんでしたので、まず「歌唱」担当がいることにちょっと驚き。

私のなかでの朗読劇の元祖はやはりNHK教育(今のEテレ)の『おはなしのくに』(1990年)です。15分間の朗読番組ですが有名な役者さんや絵・音楽・効果音なども使用してこどもでも飽きさせずに集中できるものでした。他には声優さんなどが公開アテレコや朗読をする舞台なども動画では観たことがありましたが「声」や「抑揚」に集中している感が強いのであまり派手な演出という印象はありません。もちろん朗読劇を網羅したことはないので他にもさまざまな演出のものがあるかと思いますが、私の感覚では初。

有名な役者さんが語りをしてくれる何気に贅沢な番組

そのため席もある程度近い方が良いのかなとちょっと欲張りつつも発券して確認してみたところ割と後方。それでも演者が座りっぱなしということはなく舞台全体を使っての演出だったため後方席の方が全体を見渡せるので非常に良かったです。表情や所作もわかるくらいには近かった(中劇場自体の客席数がMAXで1,000人程度)ので、贅沢は言いません。若干後悔したのは私が酷い近視+乱視なので、表情が見える距離なのに眼鏡をかけていてもちょっとぶれて見えてしまって(スモークなどの影響??)オペラグラスもしくは乱視用の眼鏡も持ってくればよかったかも…と思いました。

それでも最初に僕が女性から手紙を受け取って暗転後にすぐ台本を取って座り直すところで手紙と本を持ち替えたり衣装を直したりと少々急いでいる雰囲気を感じられる、いわゆるナマモノなのでちょっと台詞を噛んでしまったりというのが見れちゃうというのは舞台ならではでした。

刻まれていくエロスと恐怖

「今、君の目の前に立っている女を私たちで共有しないか?」

こうして恩師である芸術系大学の先生からの謎の誘いから始まる"僕"の旅。都会の喧騒から離れた僕は引き寄せられるかのように大分県は湯布院にあるとある温泉旅館へと向かいます。僕はついその女性と先生の裸を想像して「共有」という意味が性的なものかと考えますが、どうもそんな気にはならないらしい。女性も誘惑してくるような素振りよりも何を考えているのかわからない言動が増えていくので次第に僕も不信感が増してきます。

スリットの入った衣装がとっても可愛かった!!

コムアイさんがオープニングで坂本慎太郎の『できれば愛を』を歌いながら大胆にシコを踏むように股を開きスリットから白い太ももを露出させて歌います。まるで観客を煽って楽しんでいるかのような無邪気なパフォーマンスに私はめろめろ。

胸にぽっかりと空いた
穴ぼこ見てください
はずかしいでしょ あわれでしょ
まってください
ここにすっぽりとはまる
何か入れてください
はずかしいでしょ でもできるでしょ
やってください

『できれば愛を』

湯布院ということで温泉に入る場面がありましたが、そこに謎の女性であるしのぶ/片桐が突然入ってきます。「ここは昔から混浴なんですよ」と言って戸惑う僕をからかうように色香を振りまく女性。「僕のを触りましたか」「白い乳房が見える」と僕を性的に誘惑するかのような謎の行動を繰り返しますが、何故かそこに生々しさやいやらしさはない。むしろエロティシズムには溢れているのに恐怖が勝っていて日本なら雪女のような妖怪や西洋ならサキュバスのような迫力。しかし言葉の力だけではなくやはり表現者の力量もあってのことだなぁというのは非常に感じて、ややもすれば単に下品だったり普通に変態的なだけに聞こえてしまいがちな性的描写も畏怖に変えられる声色と滑舌と表現力を感じました。

幕間を含めた100分間の狂気が始まる

不穏な言葉で埋め尽くされた明朝体が怪しく落ちてくるような映像演出は大好物なので劇全体の雰囲気はかなり好きです。余談ですが、TVアニメ『ひぐらしのなく頃に』(2006年)は予告編での文字の使い方が素晴らしいです。

コムアイが破り、成田凌が守る第四の壁

音楽ライブやお笑いライブなどに行ったことがある方は出演者と観客の掛け合いや煽りを受けて会場が一体化する気分や高揚感を味わったことがあるかと思いますが、舞台演劇においてはあまり見かけない演目中の観客との交流。ゲームなどの演出でも使用されるいわゆる「第四の壁」ですが、これをハプニングで自ら破ってしまったのがコムアイちゃん。

※)西洋演劇において「第四の壁を破る」という言葉は、人物や何らかの舞台装置の働きで、役者達が観客に見られていることを「自覚した」ときに用いられる。(第四の壁 – Wikipediaより引用)

@tbs_yufuinkikou

是非、劇場でご堪能ください…##湯布院奇行 ##成田凌 ##朗読劇 #あなたに朗読

♬ オリジナル楽曲 - 【公式】朗読劇「湯布院奇行」

"彼女"の正体はコムアイちゃんでした

歌唱の途中で歌詞が飛んでしまったようで「ここから(立ち位置を指差して)やり直してもいいですか??」と小さい声で観客に向かって囁くコムアイちゃん。演奏を担当していた日高理樹さんはいったん手を止めていました。客席からは笑いが漏れましたがもはや完全に飛んでしまったようで「ちょっと目瞑ってて」とお願いしてお経のように歌詞をなぞるも出てこずハミングでごまかそうとするも「誰か教えて」と観客席にお願い。すぐ隣には出番を待っている成田凌がいるのですがここでコムアイと絡んでしまうと主演が第四の壁を破ってしまうことになるので(他にも役から離れられないなど理由はあると思いますが)がっつり無視。大きく広げた手を耳に当てGETした観客からの助けにより吹っ飛んだ歌詞を取り戻したコムアイは「目開けてください」と囁き呟いて歌唱を再開しますが、常に緊張感がつきまとう舞台においてあっという間に自分の世界観に観客を引き込んだのはさすが数多のロックフェスなどのパフォーマンスで魅了してきたコムアイ!!と思いました。

歌唱後は僕の元カノとして成田凌とは舞台上で共演するのですが、一連のハプニングは全く気にならなかったです。歌詞の飛び方に対する対処もあまりに自然だったので演出の一環かと思いました。これもまた両者の駆け引きというか表現者として空気を操る事ができる技量の賜物であります。

2部の後半は某作品を彷彿とさせる演出

"僕"は東京でボロ雑巾のように働きながらも彼女だと思っていた女性には裏切られ母親の期待に応えるのも精一杯。睡眠薬や抗うつ剤も効かずに酒でごまかすも定期的に「バグ」を起こす。実際に睡眠薬や抗不安薬を処方されている私にとってはファッショナブルな感覚で精神疾患や薬を創作に用いられるのはやや抵抗があるのが本音なのですが、さまざまな「バグ」が進行するうちに「この主人公ならそうだね」と納得したので全然大丈夫でした。

当サイトでも度々登場しておりますが、2部の後半から終盤にかけては某新世紀を彷彿とさせる演出を思い出しました。直近では『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(2021年)が有名ですが、ここでは『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air / まごころを、君に』(1997年)のいわゆる「旧劇」の方です。

「言い忘れたことが一つありました。
百日以上滞在してはいけませんよ。
百日以上滞在してしまったら、君は……」

劇中に出てくる"白濁の湯に消える"という表現で"LCLの海"を思い浮かべてしまった私。

「ここはLCLの海。生命の源の海の中」
「ATフィールドを失った、自分の形を失った世界。どこまでが自分でどこからが他人なのか分からない、曖昧な世界。どこまでも自分で、どこにも自分が居なくなってる脆弱な世界」

― 綾波レイ

私の中で決定打になったのは僕に対して「他人の目」を意識している自身を炙り出すために実際に着席している観客の映像を使用した時。観客側も手を振る訳にもいかずマスクを直したりして自分が映っているのか確認しているのがちょっと面白かったです。客席を映し出す(利用する)ことで「他人の目を気にして生きている哀れな自分(=僕)」を描き出していたように思います。

旧劇では「気持ち、いいの?」というテロップを映画の観客席の映像(実際に上映した時に撮影したらしい)と重ねて実写に切り替わるシーンがあります。当時は庵野監督のおたくに対するメッセージだと物議を醸しましたがそれが本当かどうかは謎です。

加えてTVアニメ版の最終回でパイプ椅子に座った碇シンジが各キャラクターにいろいろ諭され??ながら世界が開ける伝説の「おめでとう」最終回は有名です。

「そうだ! 僕は僕でしかない。僕は僕だ」

― 碇シンジ

最後に僕は女性たち(黒木華とコムアイ)に「あなたは誰?」と詰め寄られます。そこで僕は「僕は僕だ」と叫ぶのです。そして物語は『君はそう決めた』の歌声とともに終盤へ。私は心の中で「おめでとう」と思ってしまいました。

僕は「お母さんに認められたかった、喜んでほしかった」という思いが強い幼少時代を送り、社会人になってテレビマンとして働き始めたのも「母に認めてほしい、喜んでほしい」と行動の主軸が「母親」になっています。おとなになっても女性に対するコンプレックスと承認欲求は消えずに彼女に浮気されれば(当たり前かもしれませんが)ひどく女々しく落ち込みます。「東京に行けば何かを得られると思っていた」と言うものの現実では心身の健康すら得られていません。

僕は他人の目を道標にしたり自分の居場所を変えることで自分も変えられるという、主体的というよりは従属的な思考で行動しています。そのため自分自身が何をしたいのか、何になりたいのかという根源的な欲求がわからなくなっているようにも見えます。マズローの欲求段階説がせめぎあっているみたいでちょっと興味深くもあります。

※)アメリカの心理学者マズローが, 『人間性の心理学―モチベーションとパーソナリティ』(1954)で提唱した. 彼は, 人間の欲求を, 生理的欲求, 安全の欲求, 所属と愛情を求める欲求, 自尊を求める欲求, 自己実現を求める欲求の五つに分類し, この順序で低次元から高次元へと階層構造をつくっており, より低次元の欲求が満たされると, 高次元の欲求が動機づけられるようになるとした.(後略)(宮島, 2003, p.241)

もちろん類似していると感じたことに対して批判的な論調に持っていきたいのではなく、たまたま世代的に私の頭の中でエヴァの演出が古典として残ってしまっていたため勝手に重ね合わせてしまっただけです。女性、エロス(≒生理的欲求や安全の欲求)、誰かに認められたい(≒社会的欲求や承認欲求)、自分を認めたい、自分を受け入れたい(≒自己実現の欲求)という思いは普遍的なテーマだなぁと身に沁みました。

僕は何かと制約の多い中で小説を書かなければならないというストレスから解放されのびのびと執筆に取り掛かろうとしますが、それは僕と女性を引き合わせた先生が何故か湯布院で謎の死を遂げたという知らせが入った頃のこと。僕は静かに女性に抱かれながらまるで何かに取り憑かれたかのようにパソコンの前で作業を始め、不気味な印象を残したまま劇は幕を閉じます。

鑑賞後の作品に心身ががんじがらめにされている時間は苦痛を伴いますがそれもある種の快感です。簡潔に言えば「余韻」なのかもしれませんが、もっとドロドロとしてグルグルとしている。頭はもっとそれを理解したがっているけれど心はもう疲れて離れたがっている。こんな時に「あ、自分て面倒くさいというか気持ち悪い人間だな」と感じるのですが、それもまあ良いかなとも思える自己を再確認できる作品でした。

かなり情報量が多い濃密な作品だったので
ふと何か思い出したら追記するかもしれません

参考引用:
角川歴彦(発行)『フィルムブック 新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 [まごころを、君に]』角川書店, 1997.(p.88-89)
角川歴彦(発行)『新世紀エヴァンゲリオン フィルムブック⑨』角川書店, 1996.(p.95)
宮島喬(編)『岩波小辞典 社会学』岩波書店, 2003.(p.241)

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