インターネットで知り合った台湾の友達に旅行で会いに行けた時の思い出
日本は昔から地震が多い場所ですが、最近特に頻発しているように感じてしまいます。直近でやはり衝撃的だったのは2024年1月1日の16時10分に発生した「能登半島地震」で、平和で平穏が前提だと思っていた元日の夕方に厳しい現実の状況が日々刻銘に流れてきたことは非常に心苦しいものでした。1月の日本海側ということで津波や火災に加えて防寒という側面でも避難や防災に対する意識を変えたものだと考えます。
令和6年(2024年)能登半島地震に関する情報 - 石川県
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/saigai/202401jishin.html
翌日の1月2日に羽田空港で起きた事故(羽田空港地上衝突事故)は、前日の被災地に向けて支援物資を輸送する途中の海上保安庁の航空機が日本航空の定期便と衝突したもの。こうした連鎖を目の当たりにするのも何とも言えません。
そして2024年4月17日には愛媛・高知で最大震度6弱の地震が起きました。当時は自宅で地方ローカルではなくBSを付けていたのでテレビから例の緊急地震速報が鳴りました。以前に友達を訪ねて岡山県倉敷市に旅行に行った際に地元のタクシー運転手のおじちゃんは「瀬戸内海でおっきな地震は起きたことがない」というような話をしていたのと、四国はそういったイメージがあまりなかったので余計に心配になりました。
そういったなかで気になったのが2024年4月3日に発生した台湾の地震(花蓮地震)。台湾は私の数少ない海外旅行経験のなかで行った国のひとつです。もはや具体的に台湾のどこに行ったのかすらも実はよく覚えていないのですが、地下鉄で九份や繁華街に行った(連れて行ってもらった)ので、台北の付近だと思います。
今からほにゃらら年前に高校からの付き合いの友人ら6人で台湾旅行に行きました。他の友達と比べると段違いで海外旅行の経験に乏しい私は何をするにも友達の金魚のフン状態でしたが、それでもよく旅行やアクティビティに誘ってくれたことには今でも感謝しています。現在はみな家庭があったり仕事があったりでなかなか足並み揃えて長期間のスケジュールを押さえることは難しくなりましたが、それもまた人生。
そんな私ですが当時は周囲がやっていたからという理由でFacebookのアカウントを持っていました。友達リストの数で言えば寂しいものでしたが、たまたま台湾の女性と相互フォローになる機会があり(当時は外国語のスパムが少なかった気がします)ネイティブは中国語のようですが英語を勉強しているということで投稿は英語が主だったように覚えています。
成田だったか羽田だったか国際線のお土産屋さんで、ちりめんでできたキティちゃんの手鏡を買ってみました。海外に出向いて海外のひとに日本のお土産を渡すのは初めてだったので意外と何なら喜ばれるのかわからず、空港で売っているものならいちばんわかりやすいだろうと思って結局かなり無難なものになってしまい、もうちょい気の利いたもの(キティちゃんがダメとかでなく)にできなかったかなぁと思い返すこともあります。
思い出の写真はたくさんあるのですが、プランは海外旅行慣れしている友達たちが全部計画してくれたので私はそれにほぼ付いていくのみでしたが、ひとつだけ自分の意志??でこれがしたいと言って時間をもらったのがそれでした。

FBのダイレクトメッセージで自分が宿泊しているホテルを教えたところ、バイクで現地まで来てくれると言ってくれました(メッセージは全て英語)。相手は自身の写真を載せていましたが、私は簡単なプロフィールとシェアくらいしかしていませんでした。そんな素性も知れぬ謎の日本人観光客にフットワーク軽く会いに来てくれたのが本当に嬉しかったです。ホテルのロビーで待ち合わせにしましたが、そこまで同行してくれた友達たちも私の行動力に驚いていました。
友達のひとりが英文科に通っていたので途中通訳に入ってもらいましたが、結局激しいボディランゲージとノートに絵を描いたり単語を書いたりして一生懸命にコミュニケーションを取ろうとしたあの感覚は非常に新鮮な経験でした。喜んでもらえたかはわかりませんが空港で仕入れたキティちゃんの手鏡も渡すことができました。今になって「MADE IN JAPAN」だったかどうか不安になっていますが、日本国内限定販売品ではありました。相手も台湾の言葉がたくさん書かれたかわいいメモ帳をわざわざ持ってきてくれました。
今回の旅行をするにあたって会社には嘘をついて(旅行ということは伏せて)休んできたということを頑張って伝えたら、よくないよとはっきり言われたことに日本人とのコミュニケーションの違いを感じた気がします。勝手なイメージですが仕事を休むのに嘘をつく必要がないと思うんですね。

言葉がわからないと意思疎通はやはり難しいですが、笑顔と「私はあなたとコミュニケーションを図りたいのです」という強い気持ちが伝われば繋がっていけるのではないかという一筋の光明を見た気がしました。
他のSNSの台頭やUIの変更も重なったことでFacebookもすっかり使わなくなってしまいました。アカウント状態を確認しようとふとした時にぱっと確認したら英語でメッセージが入っていて「今度日本に旅行に行くのですがどこかで会えませんか?」という旨の内容でしたが、送信日時が既に数年前でした。慌てて返信しようと英文を考えていたところその間にアカウントを削除してしまったようで、他の連絡手段を交換していなかったこともあり連絡する術がなくなってしまいました。
おそらく年齢的に家事や育児や仕事など、あの頃と比べると何かと忙しいと思うので直接会うのは難しいと思いますが、せっかくの縁を自身のミスで絶ってしまったことを非常に悔やんでいます。コロナがあったことも影響しているとは思いますが、是非ともお互いそれなりに健康に安全に世界平和で生きていられたらと望むばかりです。
追記)
…とここまで書いて投稿する前に改めてFacebookを確認したところ、チャット欄が復活していました!急いで拙い英語で返信しましたが、期間が空きすぎて多分相手も見ていないかと思います。というか既読になりません。ただ、直近のチェックインに日本が入っていたので無事に生活しているということはわかり安心しております。もし相手のことも心配させていたら本当に申し訳ないことをしました。
台湾加油!!
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