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『Ghost of Tsushima(ゴーストオブツシマ)』石川先生に教わる元寇と誉れある武士の姿とは

2021年8月14日  2020年10月25日 

ネタバレあります

2020年7月17日に発売されたアメリカの制作会社によるPlayStation4用ゲームソフト『Ghost of Tsushima(ゴースト・オブ・ツシマ)』。他には『inFAMOUS(インファマス)』シリーズでも有名なSucker Punch Productions(サッカーパンチ)が手掛け、実在の対馬(長崎県対馬市)を超壮大なオープンワールドに採用した日本中世が舞台のアクションアドベンチャーです。


非常に恥ずかしながら私は未プレイですが(おいエアプかよふざけんな!!という方には誠に申し訳ございません…)、主人公である境井仁役のDaisuke Tsuji(漢字表記は辻大介)さんのゲーム実況などは拝見させていただきました。完全にネイティブな英語は正直ほとんどわかりませんが、漢字やスラングなどには明るくないとは言うもののバイリンガルゆえ流暢な日本語配信もしてくれるのでとても新鮮です。急に珍しいバグが出て戸惑ったり、仁の入湯シーンで「Yeeees!!」(←ネイティブな表記は"Yessss!!"らしい)と喜んでいたりと主人公を演じた役者さんならではのリアクションは興味深いです。殺陣などのアクション面では別のモーションアクターの方が担当したそうですが、その他の動きや表情などはTsujiさんによるものだそう。仁が温泉に入る時の後ろ姿やお尻もそっくり(本人談)らしいです。

仁のプリプリなお尻
誰もが初見では反応する肉体美のシーン

PS5の発売目前にもかかわらずPS4の可能性を極限までに引き出したであろう美麗なグラフィック性能と膨大なストーリー展開に、自らコントローラーを手にしていないにもかかわらずすっかりツシマの世界観の虜になってしまいました。

何より魅力的なのは身分階級問わずさまざまな人物との交錯や蒙古との戦いによって既に立派な武士として成長しているはずの仁の在り方が徐々に変化していくところだと私は感じています。

戦禍に於いて父を目の前で殺されたまだ幼い少年(当時は既に元服の可能性も)ながら強い罪悪感(サバイバーズ・ギルト:Survivor's guilt)と孤独感を抱えたまま家督となった仁は対馬国の地頭である伯父の志村に引き取られ武士とはどう在るべきかを再び教え込まれます。仁もそんな伯父に対して強い尊敬の念を持ち、突如侵攻してきた蒙古から対馬と対馬の民を守るためにわずか80騎で「小茂田の浜」の戦に伯父と共に出陣しています。しかし圧倒的な勢力を前に伯父は捕虜とされ仁は背後から弓兵に攻撃され気を失ってしまいます。仁は野盗である女性ゆなによって命を救われますが、伯父の救出を焦るあまり蒙古を率いる主将コトゥン・ハーンとの無謀な一騎討ちにより金田城の橋から深い川底に落とされてしまいます。

またしても生還を果たしたものの現状では蒙古を討ち払い対馬を救うことはおろか自身の恩師でもあり家族でもある伯父を助けることすらままならないことを悟った仁は、伯父から授かった境井家の家紋の入った父の形見である太刀を手に「父上、お導きください」とすがるしかありませんでした。しかし仁の声に呼応するかのように一陣の風が吹き荒れ、仁が進むべき道を示すようになります(プレイヤー的には常に目的地のガイドをしてくれるのでとっても便利な父上)。

蒙古との戦いの最中でいろいろな人物と巡り合うことになるのは既に書きましたが、その中でも人気度トップではないかと思われるのが物語冒頭で夫である安達晴信をハーンに焼き殺され賊には家族を皆殺しにされるという凄惨な経緯を経て復讐の女武者と化してしまう「安達政子殿」と弓術の使い手である「石川先生(フルネームは石川定信)」です。どちらも一癖も二癖もある魅力的なキャラクターですが、やはり石川先生の偏屈振りは圧倒的。英語でも"Sensei Ishikawa"です。

石川先生は対馬でも最高峰の「弓取」です。石川先生は巷で言われているようなパワハラ老害のクズでも矢筒(通称:石川ストック)でもありません。今回は日本の史実と本作の基礎のひとつともなった黒澤明監督映画『七人の侍』も交えて石川先生から誉れある弓取、そして武士についてご教授願いました。

ひとまず「蒙古」とは

史実では「元寇」または「蒙古襲来」と呼ばれるモンゴル帝国(元朝)と高麗連合による九州地方を中心とした日本侵攻のこと。文永11年(1274年)の「文永の役」と弘安4年(1281年)の「弘安の役」と2度起こり、対馬国は文永11年10月5日に小茂田浜から侵略を受けています。対馬を経由地として壱岐を経た後に博多湾から筑前国早良郡(現在の福岡県福岡市早良区周辺)まで侵攻しようとした大勢力でしたが、太宰府(おそらく梅で有名な福岡県太宰府市周辺)や博多湾での日本軍の防衛成功とのことにより元軍は撤退しています。文永の役と弘安の役と2回にわたり敵兵が撤退した理由として「偶然にも嵐が起きたから」というのが通説となっているようですが、日本・中国・韓国などを中心に存在する当時のさまざまな史料を照らし合わせるに日本軍の善戦によるものという見解が強いようです。

元が日本に侵攻した目的としては当時の日宋貿易が影響していたという説があります。宋が火薬を得るために日本から硫黄を輸入していたという背景などから、火薬の原料になる硫黄の産出が豊富な日本の九州地方を通商目的もしくは占領目的として狙ったという興味深い理由もあります。

ゲーム内でも重要アイテムとなる「てつはう(鉄砲)」は元の武器として史実でも有名です。手榴弾や炸裂弾のような威力を有し日本軍を混乱させたという話もありますが、そうした強い殺傷威力があった事実はないという説もあります。

肥後国(現在の熊本)の御家人であった竹崎季長(すえなが)(1246-1314)が鎌倉幕府に対して自らの功績を証明するために自身の活躍を描かせた『蒙古襲来絵詞(えことば)』※1では蒙古に対して「糞尿投擲作戦」を行ったのではという描写もあるようで、日本軍も割と志村の伯父上が卒倒しそうな誉れなき戦術を用いています。

元寇における貴重な一次資料となっている『蒙古襲来絵詞』は、今現在は三の丸尚蔵館(宮内庁所有)にて展示してあるそうです。

※1)2021/7追記:2021年7月16日に開かれた文化審議会により国宝に指定されるとのこと。宮内庁が保有する美術品等が国宝に指定されるのは今回が初。

史実において志村の伯父上にあたるであろう人物が対馬国守護代を務めていた「宗助国(そうすけくに)」(1207-1274)です。作中と同じく80余騎程度の少数の兵で元軍に果敢に挑み討ち死にしています。

今現在でも長崎県対馬市厳原町にある小茂田浜神社では

文永11年(1274年)の元寇で元・高麗連合軍と壮絶に戦い、全滅した島主・宗助国と家臣団の魂を鎮めるため、

神主が海に向かって矢を番える「鳴弦の儀」を始めとした大祭が開かれているとのこと。

また、神奈川県鎌倉市には北条時宗が

蒙古襲来による殉死者を、敵味方の区別なく平等に弔うため、

などの願いと共に建立された円覚寺があります。秋が深まる時期はゲーム内の美しさとはまた違った素晴らしい紅葉が見られます。この辺りから史実と作中設定がごっちゃになりやすいです。すみません。

時は武士が征する鎌倉時代

当時は鎌倉幕府の北条氏による鎌倉時代。元寇の頃は北条時宗(1251-1284)が八代執権を握っていました。ひらたく言ってしまえば志村の伯父上に御家人かつ対馬国地頭の職を与えている上司です。

賊や菅笠衆の竜二、巴など有力な身内の寝返りも相まってか志村は圧倒的劣勢の対馬に対して幕府に援軍を要請すると同時に仁を志村の跡継ぎにするという旨も申し出ています。将軍様(史実なら北条時宗)がこれを下知すれば仁は伯父の跡を継ぎ次期対馬国の地頭職を与えられるわけです。

先の通り博多湾における九州地方の御家人たちの奮戦により元軍は撤退していますので、伯父上が鎌倉に解文(下級から上級への上申文書)を送るよう頼んだ頃には本土からの援軍を呼ぶには遅すぎるというかあんまり意味がなかったりします。あんなに頑張ったのに。

伯父上が時折口にする「下知状」は幕府からの下知(下位への命令)が認められた文書です。伯父上はいわば中間管理職のようなものなので甥を養子に取り地頭職まで継承させようとしていたところにいろいろなこと(後述)が重なったため仁とは衝突することになってしまいますが、鎌倉時代の武士は割と奔放であまり幕府に対して強い忠誠心はなかったことは鎌倉幕府の終焉からも見て取れます。特に元寇において相応の恩賞が与えられなかったことは当時の御家人たちに対して強い不信感を与えるきっかけとなったという説もあるそうです。

鎌倉時代は正確な文献や史料などが少なく他の時代と比べて研究が難しい時代でもあります。

武士の「誉れ」を求めて

物語の要となる「誉れ(honor)」というキーワード。特に鎌倉幕府の御家人であり対馬の地頭を務める志村の伯父上がやたらと口にするので現代人からは「誉れおじさん」と呼ばれ若干ウザがられてしまう始末。武士の在り方に強い信念を持ち常に民の模範であるよう己を律している偉い人ですが、仁の働きにより島民の兵力をまとめ上げ本土からの援軍も参戦する最終局面に於いて自身の安易な判断が招いた甚大な被害をその目で見てしても

戦場で死ぬは誉れよ

と、苦境を乗り越えてきた仁の逆鱗に触れる発言をしてしまうとにかく誉れにこだわる武士。

結局武士というのは身分ですが、では「武士という身分を授かった自分の役目(誉れ)とは」という思想に繋がるのがおそらく本作における武士であり侍かもしれません。

まだ少年の仁に対して剣術を教えながら志村は厳かに問いかけます。

志村:代々当家の武士は規律を守ってきた
何を重んじてきたかわかるか?
仁:主への忠義 己を律すること あと…
志村:申してみよ
仁:誉れ
勇猛に戦い 境井の家を守ることです
志村:それは父の言葉であろう
お前にとっての誉れとは?
仁:それは… 民を守ること
おのれを守れぬ者らを
志村:お前は優しいな…
だが まずはーー
主に仕えながら皆に示すのだ 勇気とーー
信義と 節制とを
仁:たやすく思えますが
志村:行うは難しだ
わしも日々苦心しておる
しかし我らは規律を守ることで
民の模範にならねばならぬ
もちろん武士にとってもな
それが誉れを得る道だ

身も蓋もありませんが、特に中世の武士が主に仕えるのは奉公によって御恩を得るためです。忠義を尽くして自身の手柄が認められればより多くの領地を得て出世することができます。武士が働くのは誰のためでもなく自分のためです。いわゆる封建制度の時代ですが、鎌倉武士は近世の武士像と比べると荒々しいというイメージも強く本作における武士の忠誠心や美学などは江戸時代や新渡戸稲造による1899年の著書『武士道』の影響も強いのかもしれません。

ゆなの弟である心優しき鍛冶屋のたかは、仁の戦闘を見て思わず

お侍様の戦い方じゃない…

と仁に対して畏怖の表情と共に呟いてしまいます。ゆなは仁を「伝説の武者 “冥人”(くろうど)様」だと吹聴しますが、たかの一言で伯父から教わった「誉れ」に背いた道を歩んでいることが民から見ても決定的になったことで仁は一瞬うろたえてしまいます。

仁も伯父を深く敬愛していますが、蒙古との戦の中で伯父の厳格な教えが段々と枷になってきます。仁の乳母である百合の話によると仁の父・(ただし)は兄である志村のことを「頭が固すぎて本質を見極められない」と言い、弟である正は「(仁と同じで)心が豊か」だったという発言からも取れるように、仁は育ての伯父よりも生みの父親の性格を強く受け継いでいたのかもしれません。百合は正に恋慕していたようなので多少贔屓目な評価もありそうですが。やがて仁自身の強い信念が伯父に教わった「武士の誉れ」から引き離し、父の雄々しさにも似た「冥人」の道へと身を投じていくことになりますが、それはまた別の譚

気になったのは仁の兵術の変化に対する周囲の反応。これは日本史に明るくない筆者の主観なのですが、武士が忍術のような戦い方をすることがそんなに不名誉なことなのだろうかという疑問はあったりします。毒を用いたり斬首により敵兵を脅かすことが当時の武士にとって禁忌的な戦略なのだろうかというのは考えたこともなかったので掘り下げてみたい分野ではあります。伯父上としては(討つべき相手であっても戯れに軽々しく命を奪うな)という意味もあったのかもしれません。石川先生も「武士は人殺しにあらず」という言葉を残しているので、仁が武士としての使命のもとに敵の命を奪うことよりも人間を殺害する行為そのものに囚われてしまうことを懸念していた可能性もあります。

また伯父上は少年の仁に対して

虚に乗ずるは臆病の印

とも教えていますが、実際の元軍との戦いでは「日本側は圧倒的に強力な敵を倒すため、多くゲリラ戦、夜襲を多用したことは、張成※2の記録にある通りである。」(服部, 2017, p68)とのこと。また「最初の恫喝・見せしめの犠牲」(服部, 2017, p112)として若干名の捕虜を殺害していたのではないかという見解もあるようです。

前述の「糞尿投擲作戦」なるものが真実であれば「日本軍にしてみれば、わけもなく攻め込んできた蒙古兵こそ、憎しみ極まる対象であったから、どんな手段も作戦も実施した(後略)。」(服部, 2017, p194)というのも納得であり「冥人」的な戦法も不自然ではなさそうですが、モンゴル帝国と板挟みになっていた高麗の使節団が何度も鎌倉幕府に警告していたにもかかわらず幕府がこれを無視し続けたことなどにより侵攻に発展したという複雑な経緯も。戦とは悲しいものです。

※2)張成は蘄州、いまの湖北省の人で新附軍であった。新附軍、すなわち宋より蒙古に降った武人である。(服部, 2017, p64)

蛇足ですが、SEGA『龍が如く0』でも主人公の桐生一馬は若さ故に育ての親であり組若頭も務める風間新太郎が自身の行動を決定付ける主軸になってしまっており、なかなか自分自身で出したケジメ(英訳ではaccountabilityでした)が通せずにいました。仁も序盤は強くて頼れる地頭の伯父上にべったりですが、徐々に境井家の家督として、対馬の次期地頭として、そして自分なりの武士としての在り方に決着を付けようとします。そんな男の成長と葛藤はヤクザだろうが武士だろうが私としては非常に痺れさせられる表現です。

黒澤映画『七人の侍』の影響

史実に於いて志村の伯父上に近い人物として宗助国を挙げましたが、制作にあたって意識したのは黒澤明監督『七人の侍』で島田勘兵衛役を演じた志村喬氏だと製作陣が話しています。

七人の侍
東宝スタジオ(東宝撮影所)にある七人の侍の巨大壁画

そもそもこの作品が黒澤映画からインスパイアを受けていて「黒澤モード」なるプレイモードまで搭載されているのでこの渋さは頷けます。志村喬氏は同じく黒澤明監督映画『生きる』での存在感も圧倒的でしたから、仁および対馬の民の精神的支柱となる地頭としては志村喬からの「志村」は貫禄◎です。あとは『男はつらいよ』の第1作目でさくらの結婚式に呼ばれて出てくる涙腺崩壊担当の博の父親役でもあったりします。

七人の侍
七人の侍
左)三船敏郎演じる菊千代
右)いちばん右にいるのが志村喬演じる勘兵衛

七人の侍では勘兵衛が指揮を取り、知略的でツシマの世界観と照らし合わせれば割と卑怯な手も使います。農村周辺の地形を把握し事前に防衛を固め敵(百姓を狙う野武士)の襲撃に備えることはもちろん、物見(偵察)が来たことを確認して隠れているところを菊千代(三船敏郎演じる侍のひとり)が嬉々として騒いだことで物見に感づかれてしまいますが、追い駆けていき油断させたところで斬り付け捕虜にする。野武士たちの住処まで百姓に案内してもらい寝ているところに火を放ち出てきたところを斬り倒す。堀で足を取られている野武士に物陰から矢を放ち牽制する。野武士を一騎ずつ村に引き入れて袋叩きにする。歩兵や槍兵が騎兵を狙っている隙に心臓を射抜くなど戦略に富んでいます。

自身の失態もあったとはいえ野武士の奇襲に腹を立てた菊千代が手製の旗を掲げて野武士の騎兵が正面突破してきた時はいよいよゲームなどでもよくある戦国感が伝わってきましたが、味方は少数の侍と短期間で兵法を叩き込まれた男百姓と痩せた馬だけなのでさすがの勘兵衛も指揮に逆らう百姓に対しては怒号と共に容赦なく刀も抜きます。207分という超壮大スケールですが観始めるとあっという間ですので是非観てください。

石川先生という武士

石川先生は道場を構える弓術の師範でありますが、コミュニケーション能力に難がある石川先生はどうしても愛弟子を闇落ちさせてしまうという残念な特殊スキルを持っています。はっきりいえば一言多い癖に大事なことはなかなか言わないツンデレじじいです。

石川先生と仁は、仁が幼い頃に父上を亡くした時には既に見知った仲で

父君は何よりも民を守られた
まことの武士よ

と家督として認められお辞儀をされるほどの間柄。十年前に仁の方から弟子入り志願をしていますが、石川先生はこれを断り百姓の生まれでも素質が高いという女性を弟子入りさせています。

政子殿には「年甲斐もなく若い女子と暮らすなど」とやや馬鹿にされていましたが「娘のようなものだ」とはっきり反論はするものの少し怪しいのもまた味わい。

他にも巴や過去の話などとにかくのらりくらりされるので仁も「お答えください」が口癖になってしまっていますが、詰め寄ったり諭したりすると怒り出すこともあるので序盤は特に気難しい爺さんです。そのため石川先生と愛弟子である巴の関係性は他の譚(サブストーリー)と比べると二転三転するのでやや複雑です。

石川先生の真実

仁と再会した直後は長尾家(後述)から賜った半弓を仁に与え(石川先生としては貸しているだけ)弓取として仁に鍛錬と称してさまざまな課題を与えます。兵術の基本は伯父上の教えによるものでしょうが、地形を利用した戦術に長けているのは石川先生かもしれません。

物語の続きを読む

石川之譚

石川先生は逃げ出した弟子である巴の居場所を中山砦だと言い、蒙古に捕らえられたやもしれぬと仁と共に捜索に出ます。蒙古を一掃した後に周辺を調べていると巴らしき弓術に長けた女性がいた痕跡と同時に石川先生の名前が入った蒙古の巻物がありました。

既に虫の息だった百姓は「同じ檻にいた女が女房や全員を弓で殺した」と2人に伝えると絶命。蒙古に石川先生直伝の弓術を売り渡し対馬の民ですら自身で殺めたというからには石川先生も仁も巴をこのまま見過ごすわけにはいきません。

石川先生が意味深なことばかり発言する上に本意が見えないため仁が問い詰めたところ、小茂田の浜の戦に行けなかった理由も「向かう途中で賊に襲われた」、志村を助けに行けない理由も「不肖の弟子に出奔された(愚かな弟子に逃げ出され行方をくらまされた)」と言っていましたが、実際には弟子である巴自身に襲撃されたため戦に参加できませんでした。

師と弟子と

石川先生は巴を振り返り

石川先生:誉れを知らぬ 生まれついての人殺しだ

と言います。

巴がいると思しき蒙古の弓の修練場に向かった石川先生と仁ですが、櫓の付近に矢を放った石川先生は「矢が落ちたところへ行け」と仁に命令します。言われた通りに仁が周辺を単身調べていたところ突如蒙古に襲われ仁は石川先生に加勢を頼みますが現れません。

石川先生は蒙古がいることを知って正面突破させていましたが「腕試し」と称して仁の「太刀さばきを観察していた」と悪びれる様子もありません。

目上の人(年上の人)を滅多に強く責め立てることのない仁ですら

仁:どうりで巴に襲われるわけです

と皮肉たっぷりに吐き捨てるほど。それを聞いた石川先生は何故か声高々に笑うのでした。

更に足跡を追う2人は島民を的に弓の稽古をする蒙古を発見します。百姓に話を聞くと巴らしき女が「蒙古に命を下していた」と言います。

石川先生は行動を共にする中で仁の戦術(兵術)の変化を見抜き

石川先生:武士は守り手ぞ
不意打ちは野盗のすること

と諭しますが、これに対し小茂田の戦を知らない石川先生に対して「倒すことを優先した」と仁が反論すると

石川先生:だが次の外道を育てる気はないぞ

と怒鳴りはしましたが志村の伯父上ほど失望する様子でもありません。志村の伯父上は自身と同じ道を歩ませたいと思っているようですが、石川先生は自身と同じ道を歩ませたくないがために仁に忠告している感があるので伯父上よりは何となく説得力はあります。

傷と過去と

巴の次の狙いは日吉の湯でした。日吉に向かう途中に仁は巴を弟子に取った経緯を尋ねます。

石川先生:父親の粗末な弓だけ持って道場に現れ
帰ろうとしなくてな

追い返そうとするも弓の才を感じた石川先生は巴を弟子にしますが、当時から彼女に備わっていた「殺しの才」に気付けなかったと回顧します。

蒙古兵:石川 日吉の民はすべて命を乞うことになる
長尾博基に討たれた者のごとく

と蒙古から言伝を受けた石川先生はすぐさまその蒙古兵を弓で殺してしまいます。

長尾博基は賊に殺されたと思っていた仁は、石川先生と優れた弓取と聞く長尾博基は師弟関係だったのではと察しますが、石川先生に「巴のでたらめ」と言われてしまいます。やや必死に取り繕う石川先生を信じることにした仁でしたが、まだ何か隠している様子は否めません。

弓と道と

巴が日吉に固執する理由は石川先生の故郷だからと言いますが、やはり巴に固執している石川先生は日吉を犠牲にして巴を追い詰めようかと考えます。もちろん仁に止められそこは素直に聞き入れる石川先生でしたが、珍しく焦りが見えているのは明確でした。

巴は長尾家の旗に火を付けて石川先生らを煽っていました。そこでようやく石川先生は、巴の前の弟子が長尾博基であったことを認め

石川先生:かつてのわしは若く
傲慢で無情だった
博基はその姿を真似て――
兵を率いて謀反を起こした

博基は敗れたそうですが長尾家の精鋭は犠牲となり、長尾家の名誉のために博基は賊に討たれたとされました。師範としての責任を問われ全ての信頼を失った石川先生は情けをかけられ指南役を降ろされるという処遇で済みましたが、その後は小さな道場で隠遁生活のようになりました。

以前は門前払いを受けた仁でしたが、ここでようやく石川先生の弟子として「弓を教える意味」を学ぶことになります。

覚悟と夢と

単独で蒙古の野営に向かった石川先生は窮地に立たされますが仁が駆け付け助太刀します。仁は巴に対する執着が心を乱している要因だと詰め寄りますが、石川先生には案の定あしらわれてしまいます。

巴が蒙古に寝返る前に石川先生を襲ったことは辻褄が合わないままでした。赤島に向かう途中に仁もここまで同行した以上全て話してもらえるように頼みますが、巴はお金のために賊の一味に加担していたため石川先生が先にその賊を処したと言います。

赤島の野営では焼き殺した民を的に弓の練習をする蒙古の姿がありました。

豊玉各所に修練場を増やすため物資を送ろうとしていること、巴がハーンに対して弓術を全て教えること、対馬陥落後には石川先生と仁の首を届けると約束する日本語の文を発見します。

いよいよ巴の残虐性が露呈してきた頃、心労もたたりやや情緒不安定にもなっていた石川先生は仁に巴の処分について詰め寄られると

石川先生:おのれ わしを愚弄するか!

と激昂。石川先生にとって巴は未だ「宝」でした。現代的に言うならば「本当にできるの?」→「うるさいな!できるよ!!」というブチ切れ方に近いので第三者の視点からすると急に怒られた感はありますが、巴を思う石川先生の複雑な心中を思うと無理もありません。

冥人と先生と

仁が集落に向かうと突然百姓に怖がられてしまいます。どうやら何者かが石川先生と仁の名を語って追い剥ぎのようなことをしているよう。

仁が手掛かりを探り櫛寺に移動しているところ、蒙古に襲われていた行商とそれを助けに来た石川先生に遭遇。百姓は石川先生と仁が蒙古と手を組んで食料を強奪しているのだと怯えています。

巴による仕業かもしれぬと痕跡を辿っていると破壊された荷車と共に殺された百姓に「この道 決して通るべからず 通れば死する」と警告する文が矢で張り付けられていました。

更に街道を進むと女性の悲鳴が聞こえ、急行した二人は蒙古の野営でひとり縛られた女性の百姓を発見します。「助けて!」と叫ぶ百姓を仁が解放すると百姓はそれを拒み嘆きます。不審に思った仁が話を聞こうとすると、百姓は「(巴に)侍が来るまでは生かしてやる」と脅されたという言葉を残して射殺されてしまいます。

蒙古の弓兵を倒した仁は巴の罠にはまったと石川先生に話しますが、殺害された百姓が数日前に蒙古と同行する島の女を見たというので野営を突き止めたら知らせるように自ら頼んだと言います。女百姓を危険な目に遭わせた上に殺されるという最悪の結果に「失敗するとは思わなかった」と淡々と語る石川先生に仁は

仁:巴は武士の何たるかを分かっておらぬと仰ったが あなたも同じ穴の貉だ

と怒り突き放しますが、

石川先生:年寄りに期待をしすぎるな
伯父御にも わしにも 政子殿にもな

という言葉と共に仁を「冥人」と呼び、武士の理想と現実を突き付けられ逆に釘を刺されてしまいます。

嘘と真と

蘭という女性が蒙古の野営を偶然見かけたとのことで話を聞きに行くことにした石川先生と仁は、彼女は卯麦の出ではありますが成人する前から大綱の賊と手を組み得意の弓で村を何年も脅かしていたと聞きます。石川先生はこのことを知りませんでした。

石川先生は巴を養子に取り跡取りにしようとまで考えていましたが反故にしています。石川先生は「自身が未熟だったから」と言いますが、村にいた百姓の怯え方からするに相当暴れ回っていたことは想像にかたくありません。石川先生は巴を弟子に取った時からそうした兆しを感じ取っていましたが、巴を跡継ぎにしたいという思いが先行してしまい敢えて黙殺していました。

蒙古の弓兵を倒すと遠くに狐の面を被った女が立っていました。蒙古の更なる急襲を石川先生に任せ巴を追い駆けた仁は崖まで追い詰めますが、巴は番えた矢を射ることなく崖から飛び降りてしまいます。仁から見た巴の姿は「悩んでいる」ようでした。

幾日あらば

仁と行動を共にしていく中で石川先生は核心に近い胸中を吐露します。

石川先生:お主の年の頃
わしは次の長尾忠頼と言われておった
仁:先生ならば当然でしょう
石川先生:世辞を抜かすな
腕がいいだけだ
仁:先生には感謝しております
石川先生:かつて わしは鍛錬に明け暮れ
家族を持つ暇もなくてな
巴を後継ぎにしたかったが
あやつの所業は許せなかった
仁:お察しします
石川先生:わしは弓に生涯を捧げ 弓はわしの名を世に広めた
だが弓は しょせん武具よ
家族を持てばよかった
仁:先生…
石川先生:わしのようになるな
冥人に飲まれてはならんぞ

このムービーシーンは『七人の侍』の冒頭を彷彿とさせるものでした。勘兵衛の姿を見て真っ先に弟子入り志願したいちばん若い侍である勝四郎を戦に連れて行くのを制止した際に

「わしもお前と同じ年頃だったことはある。腕を磨く。そして戦に出て手柄を立てる。それから一国一城の主になる。しかしな、そう考えているうちに、いつの間にかほれ、このように髪が白くなる。そしてな、その時はもう、親もなければ身内もない。」

勘兵衛『七人の侍』

と諭す場面がありますが、私の中では完全に石川先生と勘兵衛が重なった瞬間でした。ちなみに百姓の嘆願により勝四郎も戦に参加することになっています。

石川先生の最後の決着は娘同然である愛弟子の不始末を自身で成敗することでした。

豪雪の上県(対馬の北側)に巴を探しに向かった仁は「まつ」と名乗る若い女性に、年老いた弓取が数日で自分の家に戻るはずだと告げられ食料のために設置した罠を一緒に見て回ってほしいと遠回しに頼まれ同行します。まつの罠の仕掛けは見事なもので、さすがの仁も驚きます。

まつは最後の罠から獲物を取るとおもむろに海を眺めるので、仁が何を見ているかと問うと、遠くに見える(であろう)本土だと答え「あそこなら生き直せる」と力強く答えます。彼女の夢は京都で小さな宿場を開くことでした。滅多に笑うことのない仁がまつの話を聞いている時にわずかに微笑むのが印象的です。

まつの家で石川先生を待ちながら話をする仁ですが、おそらく捜索中に発見した蒙古の死体の状態などから彼女が巴であることは早い段階で既に見抜いていました。巴は率いていた蒙古の弓兵たちが手に余り裏切られたため、蒙古の居場所を知っている巴としては仕返しするために石川先生も含めて3人で奇襲をかけたいと説得されます。

罠を回収する間、間接的に仁を男前だと褒めたり猛吹雪の中を馬で突進する最中「俺の後ろに乗ってはどうだ」と言われるも「今何と!?」と都合よく聞き取れない感じから察するに巴は人心掌握もうまく仁のことも気に入っていたようで、巴だと指摘された後も

巴:仁 泊っていってよ

と、しおらしく誘いますが仁には断られてしまいます。石川先生曰く「敵を見くびる癖がある」とのこと。

「弱虫!侍のくせに!」

志乃『七人の侍』

置き土産

敢えて誘いに乗るとして卯麦谷の北に向かった仁と石川先生は巴と合流し不信感を抱きながらも巴に従います。

蒙古に尾行されていた巴は襲われますが、このことで石川先生の不信感は増すばかりでした。巴とひさしぶりに顔を合わせたかと思いきや頑固で強情な2人はさながら親子喧嘩のような言い争いが止まらず仁に制止される始末。

巴は捕虜が拷問を受けていたゆえに一思いに殺してやったところを蒙古に気に入られ、その後も弓術を教えていたのは脅されていたからだと話すと

巴:生き延びたこと謝らないよ

と言い放ちます。

巴の鍛え上げた蒙古の弓兵が民を次々と殺めていたことに対しては

巴:私はいつも いたずらに人を殺すなと命じてた

と強く弁明していました。結果的に巴の所業は対馬への裏切り行為ではありますが、微かに石川先生の教えが生きていた描写があるのが切なく感じられます。

険悪な雰囲気が続く折にも、卯麦谷での共闘では思い出話や弓術の上達法など仁そっちのけで互いにやり取りするふたりの姿はまるで師匠と弟子を超えて本当の親子のようでありました。

蒙古との戦闘後、巴は行方を眩まし石川先生と仁は再び蒙古を追ったかと思い追い駆けますがそこから先は浜。蒙古に追われていた巴は石川先生と仁を利用して卯麦谷から船を出してもらっていました。石川先生と仁は巴にまんまとしてやられ、巴は手引きを受けて船に乗り対馬を離れ本土へと渡って行きました。

束の間の娘だった巴は自身を「放たれた矢」と形容し、石川先生に感謝の置き手紙をしながらも対馬に残ることはありませんでした。遠くの船に巴の姿を確認した石川先生は矢を番えますが、足元に巴が置いていった手紙と弓の存在に気付いた後はその弓を二度と引くことはできませんでした。

彼女はまさしく定まらない矢の如く石川先生の前からも仁の前からも姿を消したのです。

しきりに「感傷に耽るでない」と仁に言い聞かせる石川先生でしたが、自分自身に言った言葉で間違いないでしょう。

蒙古との戦禍のなか、ひとりの若い女に良くも悪くも振り回された男たちの寂しい背中だけがそこにはありました。

石川先生から教わる武士の誉れとは

どこまでも傲慢で自己中心的な振る舞いを貫き通す石川先生ですが「今になってもこういうおっさんっているよね」みたいな感じもまた時代を超えた親近感があるのが石川先生。身近にいたら絶対に面倒くさいのに何故か憎めない愛されキャラです。過去を紐解いても作中での態度を見てもその魅力には全然具体性がないのですが、やっぱり石川先生がいないと作品自体が締まりません。

先にも似たようなことを述べましたが、学校教育レベルの日本史をかじった筆者としては鎌倉武士は正直そこまで作中で表現される「誉れ(honor)」を有する侍だとは感じません。実際にも鎌倉武士は志村の伯父上が仁に教えるような存在ではなかったようです。

そもそも名乗りを上げてお前の精鋭を差し出せと一騎打ちする理由としては「私が先に(先駆け)敵の偉いひとの首を討ち取りますよ!だから勝利したらご褒美ちょうだいね^^」と周囲に宣言しているものであり、いわゆる敵に対して礼儀を重んじている行為ではありません。作中冒頭で政子殿の夫である安達がわざわざハーンの前で名乗ったのもその描写(作中では様式美の意味合いが強そう)かもしれませんが、史実においても実際に名乗ったところで元軍に日本語が通じるはずもなくあっけなく攻撃されたという説もあるそうです。

よく聞け
腕に覚えのある者あらば出でよ
我こそは安達晴信
かの安達義信が五代の末裔なり

やあやあ我こそは!!で有名な一騎打ち前の名乗り

現代でいえば社内などで自分の功績を勝手に上司や同期などの手柄にされないために自分の仕事の結果であることを周知させておくようなものかもしれません。

という背景もあり、あくまで元寇の時代の武士となると志村の伯父上よりは石川先生や政子殿の方がまだリアルな存在に見えてくるというのはありました。あくまでゲームではあるので諸説ある史実を盾に重箱の隅を突くようなこと自体誉れないのでこれ以上広げるのも無粋かもしれませんね。

稀代の弓取でありながら生き方が不器用な石川先生にとっての武士とは仁が思い描くようなものとはまた異なり、己を武士として律し弓術と共に生きることそのものが他人に対する深い愛情表現を可能にする唯一の手段だったのかもしれません。

しかし巴を失った後には単なる武具を使用した弓術とそれに伴う名声が何を残したというのだと悲観します。そして仁には常に「わしと同じ轍を踏むな」と何度も自分と同じような人生に己を投じるなと忠告していますが、残念ながら仁は自らの意志で石川先生よりも孤独な修羅の道を歩むことになります。

* * *

参考:
服部英雄『蒙古襲来と神風』中公新書, 2017 
対馬市×Ghost of Tsushima 特設コラボページ
(https://www.nagasaki-tabinet.com/static/ghost_of_tsushima/)
熊本県公式観光サイト No.097「竹崎季長と海東郷」
(https://kumamoto.guide/look/terakoya/097.html)
宮内庁 三の丸尚蔵館
(https://www.kunaicho.go.jp/event/sannomaru/sannomaru.html)
宮内庁 三の丸尚蔵館 蒙古襲来絵詞
(https://www.kunaicho.go.jp/culture/sannomaru/syuzou-06.html)

注)記載した史実に関しては諸説あります

2021/4追記)
まさかの映画化決定おめでとうございます!!

2021/7追記)
まさかまさかの壱岐島編が追加決定おめでとうございます!!

2021/7/17追記)
2021年7月17日で発売から1周年おめでとうございます!!


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