はじめての父親体験で乳幼児の育児の苦労と喜びを知る未婚わい
当ブログでもちょいちょい登場しているやもしれませんが、友達のおこさまと遊ばせてもらう機会が何度かあり、だいたい3ヶ月~半年のスパンでは会わせてもらっているのですがとにかく感じるのは「こどもの成長ってすげー!」ということ。
タイトルで父親体験としたのは一緒に行動するのが"友達とそのこども=母子"なので勝手に父親ヅラしました。特に他意というか深い意味はありません。
成長の分だけ乳をやり寝かしつけ離乳食に切り替え遊びに付き添い日々の育児に心血を注ぐ母親は苦労しているためか、日頃の疲労が隅々から滲み出ている感はありますが(第二子の妊娠出産や産休育休明けの復帰に向けての保活など)少なくとも良いとこ取りの立場の私ですらこどもがニコッと笑うと邪気が吹き消し飛びますから、親もこどもに支えられてなんとか育児が続けられているのかなと勝手に思ったりもします。
単純に普段の育児で疲れているのか、私を信頼してくれているのかわかりませんが、やっと首が座り出した頃と比べると私がひとりで幼児(場合によっては2人まとめて)をみていても安心して??友達が遠くで見ていてくれるようになりました。もちろん時間的にはほんのちょっとなので四六時中面倒みている母親や保育士さんや幼稚園教諭などからしたら本当にわずかの間です。それでもこどもの好奇心がどこに向かうのか、何が気に入らないのか、というようなことはなんとなく理解できたような気になりました。
謎に動き回るのが楽しいらしい
半年前はほとんどベビーカーに乗って寝てませんでしたかと問いたくなるレベルで拘束されている状態を嫌がるように。例えば食事中は危ないのでベルト付きの椅子に座らせても「いやーん」と表情が曇ってくるので別のことに意識を飛ばさないとガチ泣きしそうです。既にきちんと座れるお年頃になると自身の食事の終了とともに椅子から降りて歩きだしてしまうので追いかけないと何をするかわからない(親は次にだいたい何をしでかすかは予想できるらしい)。
無事レストランやカフェなどの気を遣う公共の場を出ると彼ら彼女らの独壇場。少しでも駆け回れる場所があればとにかく歩きます。同じ場所を何度でもぐるぐる歩くので周囲のひとにブチ切れられたらどうしようと思いながらも親の友達の立場としては歩みを止めたくない。時に派手にスッ転ぶ場合もありますが、余程荒れたアスファルトや砂利道でなければ「立て…立つんだ…!!」と無言で見守る派。親子と同行していてわかってきましたがいちいち「痛いねーちゅちゅちゅ」と反応して手を貸していたらキリがないんですね。正直こちら(私)の体力がもたないので段々と動じなくなってきます。度を過ぎると単に注意しない放任のひとになってしまうので周囲との関わりは注視しないといけないなぁと何かと勉強になります。
いつの時代もこどもに刺さりまくるアンパンマン!!
通勤時やウェイ民の多い地域でゆっくり階段を堪能させる余裕はなさそうですが、ひとがいなければ階段も立派なアスレチックのひとつ。本能のままに上を目指すので後ろから落っこちないように背後にスタンバイ。上った先に何があるか巡回が終わったら(飽きたら)今度は降ります。上る時より降りる時の方がこっちとしては怖いです。手を繋いで「ワンツー、ワンツー、いっちに、いっちに、よいしょ、よいしょ」とひとりでブツブツ言いながら小さいあんよから目が離せません。踏み外したところで手さえ繋いでいればこどもの体は柔軟なのでなんとなく大丈夫そうな気もするのですが、頭から落っこちたりしたら私が泣いちゃうので慎重に。
何かを触りたい&持ちたいらしい
ハロウィンが終わると街はあっという間にクリスマスムードに一転。そこでこどもの関心を引くのがクリスマスツリーです。コロナ禍のまさに渦中は混雑緩和や電力消費問題??などで巨大なツリーを自粛する傾向もみられましたが、約3年振りにほにゃらら復活というようにイベント開催の復活が増えたので全体的に例年よりは賑やかですね。さすがに30年以上人間をやっているとクリスマスツリーに直面しての感動より「さっむ!!」という身体的な衝撃の方が深刻なので、こどもが興味深そうに恐る恐るオーナメントを指でツンツンする姿は非常に愛らしいと同時に平和を感じます。
すぐ飽きるのはご愛嬌
立ちたい、歩きたい、触りたいと数多の好奇心とパワーを抑えきれずに一生懸命に「これがしたいの」と動きと発声をまじえて全体で訴えかけてきますが、集中力と体力が切れるのが爆速なのも可愛らしい。本能と欲望のままに生きているさまが、まさに「生命」そのものを体現している気がしてなりません。
もちろん乳幼児の場合は特に個人差が顕著だと思いますが、1歳ちょいくらいでは飽きたり疲れたり眠くなってくるとつい数分前には自ら歩き回りたがったくせに「あがー」「やー」とその場に崩れ落ちます。いつまでも地べたでぐずらせるわけにはいかないので「どゥしたどゥした」と抱っこして移動すると泣き止みます。それでも気になるものを見つけると無言で小さな指を差して「連れて行け」と伝えてきます。
2歳手前くらいだとある程度自分で単語を発していろいろ言えるようになるみたいなのと、体力もあるようで、とにかく動き回るので制御するので疲労困憊です。無理に連れて行こうとすると「いやー」となるので他人の迷惑にならないのであれば好きなようにさせてみますが、ちょろちょろとよく動くので目が離せずバスケの如く常にピポッド踏んでます。
まさかのベビーカー焼けを起こす
これは本当に無知だったというか盲点だったというか。快晴のなか屋外でベビーカーを押させてもらい私は楽しかったのですが、翌日になって手の甲に謎の手荒れを起こしていることに気付きました。はてこれはなんぞや?と頭をフル回転させたところ「まさかベビーカー焼けか!」という結論に至り驚愕。長袖だったので日焼け止めを塗らずとも他は何ともなかったのですが、頻繁に洗ったり消毒したりするおてての甲は逃れられず。また興味深いのが利き手の右手の甲の日焼けの方が強く、おそらくベビーカーの扱いに慣れてきた時に片手で操作していたので「それだ」となりました。
母が姿を消したら泣きの無限地獄へ
小さいこどもはなぜなのか、立つのも座るのもやーやーなのという時がある。そんな時は母が抱っこしてあげるととりあえずは落ち着くのですが、そんな母もこどもを託してちょっくらその場を離れることもある。そうなると私の出番がくる時もあるのですが、バトンタッチする時の暴れっぷりが将軍様。それでもふっと泣き止む時があるので慣れている母はその隙を見て姿を消すのですが、母がいないということに気が付いてしまったら…。というわけで私にできることは「好奇心」と「輸送反応」を刺激すること。
母が戻ってきて姿を発見した瞬間に泣きました。今まで抱っこしていたこいつは誰やー!!!かあちゃーん!!というレベルでしたが、私は悲しみに暮れるどころか感動しました。母って偉大ですね。よく母親が父親に赤ちゃんを託すとなぜかギャン泣きされてパパかなしみの図を見ますが、もはや本能的に母親という存在に絶大な安心感というか何かを感じているのでしょうね。私も母>>>超えられない壁>>>>>父親でした。
絵本の世界も想像力がマシマシです
結論:お母さんはすごい
ひさしぶりにこどもと戯れた翌日には、腕はもちろんのこと謎の部位(鎖骨の下にある筋肉=鎖骨下筋??)まで筋肉痛になり、毎日こどもの抱っこや上げ下ろしをおこなっている母は「そりゃ強いはず(物理)」と改めて畏怖の念です。私の母はたくましいタイプではありませんでしたが、私も小さい頃から怪我や病気にかかると応急処置をしたり医者に連れて行ったり介抱してくれたりしたのは全部母親でした(父親は狼狽して役に立たないタイプ)。痛みを訴えたり血を出したり吐いたりしたくらいじゃもはや動じないというか「またか」みたいな反応ですから「やっぱり強い(精神)」と思います。
休日に大型商業施設のソファでぐったりしているお父さんを見ることは昔からよくありましたが、今ならわかる気がする。平日に仕事をして休日は家族のサポートをしながら歩き回るわけですから疲れるのも無理ないですね。そんなこと言ったら今の母親は平日に仕事もして家事もして育児もして休日はこどもを遊ばせても全部やってますよ、とはなると思うのですが、おそらく女親の場合は同世代の友達や気の合うママ友や自分の両親やきょうだいなどの家族に相談したり時には助け合ったりできるのが男親と違う点なのかなぁとは感じます。
こればかりは授かりものですから安易にどうこうは言えませんが、私も母になりたいな、なれるかな、と思いを馳せてしまいます。
それに加えて、今の時代は働くお母さんもますます増えてきていて、仕事の昼休み時間に食材の買い出しに行ったり、送り迎えのために早出して作業時間を繰り上げたり、定時までにきちっと仕事を調整して猛スピードで帰っていくなどなど…と時間をなんとか捻出して家事育児&その他もろもろをこなしている女性がたくさんいらっしゃるのも今までお世話になった職場でたくさん見てきました。出勤時にこどもがぐずってしまったり、朝に急に発熱したり中耳炎になったり(←私も中耳炎タイプ)でなかなか定刻に出社できず肩身の狭い思いを吐露している女性もいました。
あえて毒を吐くと、それを逆手にとって職場であぐらをかき若手のひとや独身などのひとにスパルタを押し付けていく自称忙しいタイプは自然と周囲から協力してもらえなくなります。近いポジションの人材も定着しません。
そうした保護者にとって頼りになるのが保育士さんや幼稚園教諭の方々。介護従事者の労働問題も同様に、小さいこどもをあずかっているお仕事は社会にとって必須なのに体力と精神力が非常に必要なお仕事だと思います。ぜひ労働環境と賃金格差の問題については早急に改善していただきたいですね。
蛇足欄)
こどもや年の離れたひととの関わり方や価値観はひとそれぞれ。きらいや苦手と思うひともいればドライなひともおります。それが良いとか悪いとかの判断は別として、少なくとも私自身は親御さんやこども自身が「このおとなは安心できる」と思ってもらえることに深い幸せを感じます。最近はおそらく自分自身が小さい頃に「大人」に対して恐怖心があったからではないかと感じています。母親の次に優しく接してくれた祖父は5歳の頃に亡くなってしまったので孤独感は強くなりました。なので特に感受性が強いうちのこどもや若者には安心できる存在のおとなでありたいと思っています。
それゆけ異次元のなんちゃら!!
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