私たちはどう生きるか⇒終戦から78年、戦争に行った祖父との約束を忘れない
まずお詫びとして、映画『君たちはどう生きるか』とは全く関係ありません。すみません。だんだん薄れていっているようにも思いますが、私たち日本人にとって太陽がジリジリと照り付け蝉がセミセミとやかましい暑い夏は「戦争」を思い出させる季節でもあります。実際に戦争を経験したひとは世代交代により減っています。私の祖父がそのひとりです。
私は戦争を知りません。日航機の事故の時も生まれてはいましたが何も覚えていません。社会科の授業やテレビや、最近ではインターネットで当時の状況が鮮明かつ克明に明かされるようになりましたが、私にはリアルな感覚がありません。自身の体験談をまじえて後世に伝えられるものがあるとすれば東日本大震災と新型コロナかなぁと何となく思っています(他にもあるにはありますが諸事情的に割愛)。
私の母方の祖父は実際に日本兵として戦地に行って、なんとか帰ってきて祖母と結婚して4人の娘を育て上げました。私の母は末っ子で今は70代です。祖父は戦争に行く前の徴兵検査で甲種合格したのが自慢??だったらしいのですが、戦争が終わってからは体が弱くなってしまい、しょっちゅう入院していたと母は言います。陸軍に配属??されて実際に立派な馬に乗っている写真も見たことがあります。白黒写真ですがとても凛々しい顔立ちでいけめんでした。母は祖父と瓜二つのレベルで似ていますが、なぜ整った顔立ちが娘(母)と孫娘(私)に正しく受け継がれなかったのか今でも悔しい点です。
祖父はまだ5歳前後の私を呼び寄せて、なぜか得意気にしわしわのお腹の傷を見せてきたことがあります。母と祖母は台所にいたので私たちのやり取りは見聞きしていません。

ほちょこちゃん、ほちょこちゃん。

スッ…(なんだろう)

ここね(服をてろりとめくって)、おじいちゃんね、戦争に行った時に銃で撃たれたの。

コクリ…(ふーん)

ここの傷ね、見てごらん(お腹を指差しながら)。

コクリ…(?)
銃で撃たれたということが何を意味するのか園児の私でも理解はできましたが、銃創などもちろん見たことはないのと、高齢でしわしわ&手術痕が多すぎてよくわからないというのが正直な感想でした。幼い頃から寡黙なタイプだったので、親族のなかではいちばん慕っていた祖父相手にもほぼ無言で応えていました。
しかしながら、母も伯母(母の姉たち)もそんな話は聞いたことがないと言います。これでは私が嘘を吐いているようで釈然としないのですが、確かに私は祖父の言葉とお腹の傷を受け取りました。
母の話によると祖父は青島(チンタオ)に行っていたそうで、私の父には「お前の父親は絶対に人を殺している」と言われたといいます。それでも母もそれを真っ向から否定できず、今もなお祖父は家族には戦争についてほとんど何も言えないまま亡くなったのではないかと考えています。
私も歳を重ねるごとに祖父が私だけに伝えた言葉の真意みたいなものを自分勝手な解釈で深読みするようになって、本当は戦争の時の悲嘆や贖罪的な感覚を家族にも共有したかった、でもそんな残酷なことはできない…という孤独と葛藤のなかで生きていたところもあったのではないかと感じるようにもなっています。
私の母には姉が3人います。母も戦後の生まれですが「戦後生まれは親が『こどもたちには自分たちと同じような目には合わせたくない』と(言い方を変えれば)甘やかして育てたところがあるので、団塊の世代は厄介かもしれない」と言います。それだったらまた次の世代が価値観などを逐次修正していかないと、世の中から理不尽なことや間違ったまま放置されていることはなくならないと思っています。
* * *
未だに祖父が私に言ったことが嘘だったのか真実だったのか自分の記憶を疑う時はあります。
ヒットしている漫画やアニメやゲームなどのエンタメは暴力や殺傷の描写が生々しくリアルなものが増えました。私も「最近の動画はきれいに動くなぁ」と鳥肌モノで好んで観ていたりもします。でも何かと何かが戦って殺し合っている描写だけにとらわれず、なぜ戦わなければいけないのか、なぜ奪い合っているのか、なぜ殺し合っているのか、という虚しさや無意味さのようなものを常に感じなければいけない気がします。
何も優等生を演じたいわけでもネットで正論を吐いて悦に入りたいわけでもなく、そうでなければ誰かに銃で撃たれ、誰かを殺し、誰かの屍の上に生涯があったかもしれない祖父が私にだけ残した「遺言」が報われないと思うのです。
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